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1964東京オリンピックから1988ソウルオリンピックまでのレジェンドマラソンランナー9人を紹介します

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1964年東京大会から1988年ソウル大会までのレジェンドマラソンランナーを集めてみました。昭和の時代を駆け巡った方たちです。
いずれも私が実際にTVや実物で見た人だけを対象にしています。

時系列で並べてみました。主に出場した大会と順位も表示しています。(敬称略)


アイキャッチ画像

アベベ・ビキラ

基本情報
国籍エチオピア
生年月日1932年8月7日
没年月日1973年10月25日
タイム2:12:11:2(東京)
大会成績優勝
職業(当時)軍人


photo by アベベ・ビキラ – Wikipedia
1964年東京オリンピック開催時私は6歳ですから、私より年齢が上の人は今でも『アベベ』という名前を覚えている方は多いでしょう。円谷幸吉が競技場で3位の選手に追い抜かれましたが、そのはるか前にゴールに到着していたアベベはゴール後も余裕しゃくしゃくでした。

そのアベベですが、日本で最初に親しまれた外人ランナーとして非常に有名な方です。東京オリンピックで優勝したアベベですが、実は前大会のローマでも優勝しています。

2連覇ですね。しかもローマでは裸足で走りました。「裸足の哲人」と呼ばれて有名な方でした。もともと軍人なのですが、走るたびに階級が上がっていきます笑

まぁある意味当然かも知れません。国の宣伝になるわけですから。しかし晩年は不幸でした。

メキシコ五輪から約半年後の1969年3月23日の夜、アベベはアディスアベバから北に約70km離れたシャノという町の北方で、自動車運転中に事故を起こす。生命に別状は無かったが、第七頸椎が完全に脱臼する重傷を負ったことにより、下半身不随となってしまう。

引用:アベベ・ビキラ – Wikipedia


メキシコオリンピックにも出場しています。3連覇はなりませんでしたが、同僚のマモ・ウォルデが優勝しています。41歳で亡くなりました。

円谷幸吉

基本情報
国籍日本
生年月日1940年5月13日
没年月日1968年1月8日
タイム2:16:22.8(東京)
大会成績3位
職業(当時)自衛官

https://www.jiji.com/news/handmade/special/feature/v2/photos/long_distance/05111281_310.jpg
photo by 円谷幸吉:時事ドットコム
国立競技場に日の丸を掲げた最初の選手でした。この方は生真面目な方だったのでしょう。期待の重圧に押されて、自ら命を断ってしまいました。東京で走ってから後、環境の激変が彼にとって不幸なことでした。

周囲の期待に応えるため、オーバーワークを重ね、腰痛が再発する。病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症。1967年(昭和42年)には手術を受ける。病状は回復したものの、全盛期のような走りはすでに出来るような状態ではなくなっていた。

引用:円谷幸吉 – Wikipedia


今では考えられないことですが、当時は日の丸を背負って走るということが如何に大変なことだったということでしょうか?競技場には2位で入りましたが、最後にイギリスの選手に抜かれてしまいました。

同期の君原とは対称的な人生を送ることになりました。円谷をモデルにした歌があります。

一人の道(ひとりのみち)とは、1972年1月10日に発売されたピンク・ピクルスのシングル曲である。

引用:一人の道 – Wikipedia

君原健二

基本情報
国籍日本
生年月日1941年3月20日
タイム2:23:31(メキシコ)
大会成績2位
職業(当時)実業団(新日鉄)


photo by 君原健二 – Wikipedia
東京では8位で円谷より下の成績でしたが、元々円谷より期待されていました。メキシコでは見事2位に輝き、雪辱を果たしました。この方はある種独特な走り方をします。苦しくなると首を左右に振りながら走るのですが、粘り強い人だと感じましたね。

スピードよりも持久力で走るタイプの人です。女性ランナーで言えば、有森裕子ですね。次のミュンヘンにも出場して5位入賞を果たしています。3大会出て2位が1回・入賞1回の素晴らしい成績でした。

引退してからも、市民ランナーとして走っていた姿に感服します。2014年神戸マラソンで実際に走る姿を拝見しましたが、70歳を過ぎてもサブ4でしたから、すごいとしか言いようがありません。

注意
サブ4とはフルマラソンを4時間以内で走ることです

フランク・ショーター

基本情報
国籍アメリカ合衆国
生年月日1947年10月31日
タイム2:12:19.8(ミュンヘン)
大会成績優勝
職業(当時)法律家


photo by フランク・ショーター – Wikipedia
「走る貴公子」と呼ばれた方です。ドイツ生まれのアメリカ人ですね。法律を専攻していて、当時実況していたアナウンサーが「走る貴公子」とか「走る法律家」と表現していたのを思い出します。1970年前半は世界のマラソン界で独壇場でした。

とにかく強い!走れば優勝か悪くても2位の成績だったはず。走る姿は軽快で、フォームの美しい選手でした。そして確か当時は長髪に髭を生やして走っていたはずです。この人だけかなり風貌が目立っていたから間違いない筈。

アベベ・ビキラ(エチオピア)以来のオリンピックでのマラソン二連覇確実と言われた1976年モントリオールオリンピックで当時東ドイツの伏兵ワルデマール・チェルピンスキーに敗れて銀メダルに終わった。

引用:フランク・ショーター – Wikipedia

しかし彼をついに破るランナーが現れました。この後で紹介する「ワルデマール・チェルピンスキー」です。

ワルデマール・チェルピンスキー

基本情報
国籍東ドイツ(当時)
生年月日1950年8月3日
タイム2:09:55(モントリオール)
大会成績優勝
職業(当時)
備考モスクワで2連覇


photo by ワルデマール・チェルピンスキー – Wikipedia

一言で言うと、粘り強い走り方をする方でした。泥臭いと言うべきなのか…ショーターとは対称的な走りをする方でしたね。その彼もアベベ以来のオリンピック2連覇を果たします。

歴史にタラレバはないのですが、もしモスクワで瀬古と対決していたらどうなっていたか分かりません。当時は瀬古のほうが直接対決でも勝ったりしていましたからね。かつての「東ドイツ」出身の選手です。