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1964東京オリンピックから1988ソウルオリンピックまでのレジェンドマラソンランナー9人を紹介します

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瀬古利彦

基本情報
国籍 日本
生年月日 1956年7月15日
タイム 2:13:41(ソウル)
大会成績 9位
職業(当時) 実業団(SB食品)
備考 自己最高記録(2:08:27)


photo by 瀬古利彦 – Google 検索

駅伝・マラソンに興味のある方で、さすがにこの方の名前を知らない人はあまりいないと思いますが。早稲田大学出身のエリートランナーです。箱根駅伝でも大活躍しました。

何せ「花の2区」を4年連続で走り、3、4年次で区間新を記録しています。人気・実力を備えながらもオリンピックにはあまり縁のない方でした。1980年モスクワオリンピックは西側諸国のボイコットで不参加。

モスクワでは金メダルに最も近い男と言われてたのをおぼえています。1984年ロサンゼルスオリンピックでも14位という不本意な成績に終わりました。宗兄弟とは良きライバルでした。上背が無いので、ピッチ走法でグイグイ走っていく感じでしたね。

瀬古が日本マラソン界にスピードで走るスタイルを広めていったと思います。この辺りからマラソンは持久力からスピードを主体とする競技に変わっていきました。先駆者ですね。

宗茂・宗猛

基本情報 宗茂
国籍 日本
生年月日 1953年1月9日
タイム 2:14:53(ロンドン)
大会成績 17位
職業(当時) 実業団(旭化成)
備考 自己最高記録(2:09:05.6)
基本情報 宗猛
国籍 日本
生年月日 1953年1月9日
タイム タイム2:10:55(ロサンゼルス)
大会成績 4位
職業(当時) 実業団(旭化成)


photo by 双子のマラソンランナー宗兄弟 – Middle Edge(ミドルエッジ)

瀬古のライバルと言えば、なんと言ってもこの宗兄弟です。ある意味瀬古の引き立て役みたいな感じで、可愛そうな面もあリます。

オリンピックでの最高成績は弟の猛がロサンゼルスオリンピックで4位入賞を果たしていますが、兄弟の直接対決では兄の茂がわずかに上回っています。

茂とは利き手が異なり、兄の左利きに対して右利きである(いわゆるミラー・ツイン)。また、茂はおおざっぱで、天才肌であるのに対して、猛は几帳面で努力家である。したがって、マラソンへの取り組み方も違い、「マラソンは練習より調整」とし、自分の感性のまま走る茂に対して、猛は「練習あるのみ」とひたすら練習に励んだ。ピッチ走法を用いていた。

引用:宗猛 – Wikipedia

1卵生双生児ですが、ずいぶんと違った点もあるみたいですね。私なんか未だにぱっとみて、どちらが兄か分からないのに(笑)

一時代を築いた彼らですが、一線を退いてからも実業団(旭化成)で後輩の育成に力を注いでいます。

中山竹通

基本情報
国籍 日本
生年月日 1959年12月20日(59歳)
タイム 2:11:05(ソウル)
大会成績 4位
職業(当時) 実業団(ダイエー)
備考 ソウル・バルセロナ連続4位

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photo by 中山竹通:時事ドットコム
私とは年齢が一番近い選手です。瀬古に対して異常なまでに対抗心を燃やして、オリンピック出場にこぎつけた方です。「雑草魂」ですね。エリートだった瀬古に対し、高校を卒業してから走る環境に苦労してきたこともあって闘争心が人一倍強かったのでしょう。

その瀬古とも、近年わだかまりが解けたようです。第一線を退いてからも市民ランナーとして時折招待選手で市民マラソンに参加していますね。2014年の神戸マラソンでは(現場で応援していた)確かサブ3でした。すごいです笑

この方の特徴はなんと言っても長身を活かして長いストライドで走るスタイルですが、往年を思わせる走りでした。2大会連続で4位というのも本当に惜しいのですが、バルセロナで森下広一が2位に入リました。

メダル間違いなしと言われた彼でしたが、2大会連続4位でしたね。オリンピックでメダルを取ることがいかに難しいのか分かります。

瀬古が一線を退いてからは、森下との一騎打ちが当時話題になりましたね。その森下もバルセロナ以降は怪我であまり活躍しないまま引退してしまいましたが。

村社講平(番外編)

基本情報
国籍 日本
生年月日 1905年8月29日
没年月日 1998年7月8日
タイム
大会成績 5000m・10,000m各4位
職業(当時) 実業団(川崎重工業)


photo by 2020年東京へ:毎日新聞と五輪「世界は1つ」提唱 1964年東京大会スローガン – 毎日新聞

中央大学在学中の1936年ベルリンオリンピックに日本代表として出場。出場した5000m・10000mでともに4位入賞を果たす。

引用:村社講平 – Wikipedia



『番外編』と称して、もう1名紹介します。

この方を知っている方はあまりいないでしょうね。マラソンランナーではないのですが、長距離ランナーとして戦前に活躍された方です。
なぜ『番外編』と称して紹介するのか言いますと、実は私この方に昔直接指導していただいたことがあるからなのです。

村社先生との出会いは私が小学校6年生の頃なので、今からさかのぼること約50年前の話です。そして当時は貴重な話も聞かせていただきました。

来年2度目の東京オリンピックが開かれますが、実は1940年に東京オリンピックが開催される予定でした。(戦争で中止)

タラレバですが、もし出場していたらメダル候補だったと本人から聞かされました。口惜しかったでしょう。残念なことでしたね。
ヘリコプター
当時年に1度学校でマラソン大会が開かれていました。で、その直前にマラソン指導のためにわざわざ訪れてくださったのです。その登場の仕方がすごいのです。グラウンドにヘリコプターで直に着陸して来られました。これには子供心ながら流石に驚きましたね。

その時に村社先生は多分お世辞でしょうが、「君はランナーとしての素質があるよ」と褒めてくださいました。豚もおだてりゃ…では無いのですが、この言葉がうれしくて、中学では陸上競技部に入りました。(2年でやめてしましたが笑)

それでも55歳過ぎてからフルマラソンを経験することになるのですから、村社先生の存在は私にとって決して小さくないですね。先生には本当に感謝の気持ちしかありません。

以上、お読みいただきありがとうございました。

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