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三菱グループの創始者 岩崎弥太郎
(敬称略)
岩崎弥太郎と言えば、何と言っても三菱グループの創始者として広く知られている人物ですが、私三菱の関係者でもなんでも無いので(笑)単なる幕末明治の歴史好きの一人ですから。
「坂本龍馬」との絡みで興味ある人物でしたので、高知や長崎へ旅行した時の思い出も少し交えながら記事にしてみようかなと思った次第です。
龍馬伝
ベタですが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で「香川照之」の演技が素晴らしかった。この人が演じていなかったら、このドラマの面白さも半減していたのではなかろうかと思うぐらい。
2010年放映ですからあれからもう8年ですか…早いですね。福山雅治の「坂本龍馬」役はイケメン過ぎるって笑
NHK大河ドラマ「龍馬伝」では本編のナレーションも、岩崎弥太郎役の香川照之が担当した
書籍「岩崎弥太郎と三菱四代」の紹介
『岩崎弥太郎と三菱四代』(幻冬舎新書)という本を読んで益々岩崎弥太郎に興味を持ちました。私的には坂本龍馬との関係をもっと知りたいと思っているうちに、この本にたどり着いた次第な訳で、弥太郎の破天荒さに惹かれて面白く読ませて頂きました。
この本のことを知らない人もいるでしょうから、少しだけ補足しておきます。
引用:岩崎弥太郎 – Wikipedia
第1章 岩崎弥太郎のルーツから始まり、明治6年三菱商会を設立するまでの様子が描かれています。
第2章 弥太郎の野望と称して明治政府と戦った軌跡と最期までの様子が描かれています。
引用:岩崎弥之助 – Wikipedia
第3章 弟岩崎弥之助のルーツと最期までの様子が描かれています。
引用:岩崎久弥 – Wikipedia
第4章弥太郎の長男『久弥』と
引用:岩崎小弥太 – Wikipedia
弥之助の長男『小弥太』の紹介と活躍ぶりが描かれています。
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より出典
あまり詳しく解説できないので割愛しますが、4人とも性格が全然違います。弥太郎と他の3人の性格があまりにも違いすぎる。特に久弥は本当に弥太郎の息子?って思ってしまう。この本は小説ではなく伝記ですから、興味のある方は是非読んでください。
弥太郎が世に出るキッカケとなった4つのポイント
- 父親が庄屋の取り巻きに打ちのめされ奉行所に仲裁を頼むも断られ塀に「奉行所は庄屋から賄賂をもらっている」と落書きをする
- 奉行所の怒りを買い牢屋へ入ることになる
- 牢屋の中の人に商売のイロハを教わったことが、弥太郎の意識を大きく変化させる
- その後参政役の吉田東洋に認められて東洋が暗殺された後も、甥の後藤象二郎に目をかけられ長崎「土佐商会」の主任に抜擢される
(実は財政難を立て直すために後藤象二郎から半ば押し付けられた格好)
❹については、この時の人脈作りが後々三菱商会設立の際に大いに役立つことになります。この4つの出来事が大きかった。
これに加えてこれと思ったら突き進む性格、決して挫けず叩かれても這い上がっていく根気強さ。
女好きが災いして一度役人を辞めざるを得なくなったのも『英雄色を好む』まんまです笑
弥太郎と龍馬の関係
弥太郎の方が龍馬より1歳年上ですね。因みに後藤象二郎より3歳年上です。龍馬とは当初友好的で互いに酒を酌み交わす仲でした…しかし次第に金の無心が多くなり疎ましくなる存在となったみたいですね。
龍馬と後藤象二郎との手打ちがあって、亀山社中の会計責任者という「厄介な」責任を負わされた弥太郎も随分と龍馬や社中の連中には手を焼いたことでしょう。
弥太郎も図々しい男だが、龍馬はさらにその上をいく図々しさを持ち合わせていたのでは無いでしょうか?あくまで私見ですが、龍馬のことを憎たらしいけど、心の底からは憎めない、自由奔放な所をどこかうらやましく思っていたのではないかと。
そして龍馬の死は弥太郎にもショックだった事は間違いないことで、後に亀山社中→海援隊を引き継ぐようなことになったのは必然だったのかもしれません。
長崎・高知で岩崎弥太郎と出会う
グラバー邸の「隠し部屋」を下から覗きましたが、ここに維新の志士達が隠れていたかと思うと、ゾクゾクっとしたのを思い出します。
のちにグラバーは弥太郎の元で働くことになります
「軍艦島クルーズ」から眺める世界遺産「ジャイアント・カンチレバークレーン」が非常に印象的でした。この後「軍艦島」にも行きましたが、その途中で寄った高島町にも弥太郎の銅像がありました。(高島町では写真撮り忘れているorz)
この頃にもしブログしていたら、絶対に取り忘れなどしない筈。惜しいことをしました。
しかしあいにくの悪天候で、「軍艦島」には上陸出来ず。残念(T-T)
これは高知県弥太郎生家を訪れた時の写真です。(2017年8月)
生家は藁葺(わらぶき)屋根の民家でした。庭に日本地図を模った石があったのが印象的でした。ここから後に明治の日本を動かす大実業家になろうとは近所の人はどう思ったのですかね?
高知県と長崎県の2県に銅像があるなんて、考えたらすごいことです。
まとめ
グループ経営陣の方は岩崎弥太郎をやっぱりカリスマ的存在に見ているのだろうか?まぁ考えるまでも無いですか。もしタイムマシンがあれば「三菱自動車問題」をどう思っているか是非聞いてみたい笑
幕末〜明治初期にかけて活躍した弥太郎ですが、このカオスな時代だからこそ活躍出来たのかも知れません。今はやれ「コンプライアンス」がどうのこうのとか、やたらうるさい(笑)時代なので破天荒な人間にはかなり窮屈な時代ですからね。
そこでふと疑問に思ったのだけど、この人現代の人なら一体誰に似ているのかな?と…「田中角栄」とは又少し違うタイプかな?私的には分野は違うけど「勝新太郎」かなイメージとして。スケールは違いますが。
弥太郎のことだから、仮に今の時代に生きていたとしても、もう少し違った形で活躍はしているのでしょうね。(きっと)人間的魅力に溢れている弥太郎ですが、もし弟弥之助の活躍が無ければ、現在の三菱グループは無かったのかも知れません。
それぐらい弥之助の活躍が大きかったと思うし、久弥に禅譲する形での身の引き方が余りにもクールでカッコ良すぎる。そして久弥→小弥太のリレーが又素晴らしい。
以上、お読みいただきありがとうございました。
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